1.老化の中心には「脳の衰え」がある
年齢を重ねると、
- 物覚えが悪くなった気がする
- 動き出しが遅くなった
- つまずきやすくなった
といった変化を感じることが増えます。
こうした「体の老化」の裏側には、実は 脳の老化 が深く関わっています。
歩く、話す、食べる、考える、覚える。
人間らしいほとんどの行動は、すべて脳からの指令で動いています。
つまり、「歩くのが遅くなる」「転びやすくなる」といった体の変化も、脳の働きが弱ってくることで起きている場合があるのです。
ここで大事なのは、
「病名がつくほどひどくなくても、脳は少しずつ老化している」
という視点です。
認知症と診断されていなくても、脳の変化は静かに進んでいきます。
2.脳の老化を早める正体:「脳のゴミ」とは?
脳の老化にはいろいろな要因がありますが、その中でも今、研究が進んでいるのが 「脳のゴミ」 という考え方です。
ここでいう「脳のゴミ」とは、
- アミロイドβ
- タウたんぱく質
と呼ばれる物質です。
これらはもともと脳の中で作られるたんぱく質で、最初から「悪者」なわけではありません。
しかし、
- 加齢
- 生活習慣の乱れ
- 睡眠の質の低下 など
が重なると、うまく分解・排出されずに脳にたまり、「塊」になっていきます。
- アミロイドβ → 「アミロイドプラーク」という塊を作る
- その影響でタウたんぱく質の形が崩れ、神経細胞を支えられなくなる
こうして神経細胞が少しずつ壊されていくと、脳が 萎縮(やせていく) し、
- 物忘れ
- 判断力の低下
- 認知機能の低下
といった変化が現れやすくなります。
ポイントは、
アミロイドβがたまり始めてから、症状として表に出るまでに「10〜20年かかる」とされている
ということです。
つまり、「何も困っていない今」の生活習慣が、10〜20年後の自分の脳に影響している可能性がある、ということになります。
3.「使わない回路」は、脳から消えていく
脳の老化を早めるのは、たんぱく質だけではありません。
もうひとつ大事なのが、
「使わない回路は弱くなり、場合によっては削除される」
という仕組みです。
足を骨折して長く動かさないでいると、筋肉が落ちたり、関節が固くなったりします。これを「廃用(はいよう)症候群」と言いますが、脳でも似たことが起きます。
- ほとんど使わない回路
- 新しいことを覚えようとしない状態
- 単調で変化の少ない毎日
が続くと、「この回路はもう必要ない」と判断され、つながりが弱くなり、働きが鈍くなっていきます。
逆に、
- 新しいことを学ぶ
- いつもと違うルートで歩いてみる
- 人と話す、文章を書く、楽器を練習する
などで脳に適度な負荷をかけると、その回路は太く、強くなっていきます。
ここで出てくるのが、次のキーワードです。
4.「予備脳」とは何か──脳のバックアップ回線
脳の老化に備える考え方として紹介されているのが 「予備脳」 という概念です。
予備脳は、具体的な部位の名前ではありません。
イメージとしては、こうです。
「ひとつの神経回路がダメになっても、代わりに働いてくれる別ルート(バックアップ回線)をたくさん持った脳」
例えば、
「小指を動かす」ための神経回路が1本しかないと、その回路が傷ついたときに動かせなくなってしまいます。
でも、似た働きをする回路がいくつもあれば、メインの回路が弱っても、別ルートでカバーできます。
この「別ルート」「迂回路」のネットワーク全体が、広い意味での 予備脳 です。
そしてうれしいことに、
予備脳は何歳になっても増やすことができる
と考えられています。
その理由は、脳が 「可塑性(かそせい)」 を持っているからです。
- 新しい経験
- 新しい学び
- 環境の変化
にあわせて、脳は自分の構造や機能を少しずつ作り替えていくことができます。
粘土をこねて形を変えるように、脳も「自分で自分をアップデートする力」を持っているのです。
5.高次脳機能障害と「予備脳」の関係
ここで、もうひとつ重要なテーマ、高次脳機能障害 についても触れておきたいと思います。
高次脳機能障害とは?
高次脳機能障害は、
- 脳卒中(脳梗塞・脳出血)
- 頭部外傷
- 脳炎
- 低酸素状態 など
によって脳がダメージを受けたあとに起こる障害の総称です。
知能検査では「IQはそこまで低くない」場合でも、
- 言葉が出にくい・理解しにくい(失語症)
- 注意が続かない、ミスが多い
- 段取りが苦手になる(遂行機能障害)
- 感情のコントロールが難しくなる
- 空間認知がうまくいかない(半側空間無視 など)
といった、生活の中で大きな困りごとが出てきます。
「もの忘れ」だけでなく、
コミュニケーション・感情・計画性・対人関係 にも影響が出るため、周囲からの理解が得られにくく、本人も家族もつらい思いをしがちな障害です。
老化だけでなく「急な変化」でも脳は大きく変わる
脳の老化はゆっくり進みますが、
脳卒中や事故などでは、ある日を境に脳の一部が急にダメージを受け、高次脳機能障害につながることがあります。
ここでもやはり、
「脳にどれだけ予備回路があるか」
が、その後の回復や生活のしやすさに大きく関係していると考えられます。
同じような場所にダメージを受けても、
- 予備回路が少ない脳 → できないことが一気に増えやすい
- 予備回路が多い脳 → 別ルートが働き、できることを保ちやすい
という違いが出てくる可能性があります。
もちろん、これは「予備脳があれば大丈夫」という単純な話ではありません。
しかし、
若い頃からの学び・経験・人とのつながりが、あとになって“見えない貯金”として効いてくる
という視点は、高次脳機能障害にも通じる考え方です。
リハビリと「脳の可塑性」
高次脳機能障害のリハビリでは、
- 失語症の言語訓練
- 注意・記憶・判断力などを鍛える訓練
- 日常生活動作を工夫する練習
などを通して、「残っている能力を引き出す」「新しいやり方を身につける」ことを目指します。
これはまさに、
脳の可塑性を利用して、別ルートの回路を育てる作業
とも言えます。
完全に元に戻らない場合でも、
- メモやスマホ、AIツールなどの「外部の助っ人」を組み合わせる
- 作業手順をシンプルにする
- 周囲の人が伝え方を工夫する
ことで、「できないこと」を「別のやり方でできること」に変えていくことができます。
6.今日からできる「予備脳」と「脳のケア」
最後に、「明日から」ではなく 「今日から」 できることを、いくつか整理しておきます。
(1)生活習慣で「脳のゴミ」をためにくくする
- 質のよい睡眠を確保する
- 深い睡眠中に、脳のゴミの排出が進むと考えられています
- 適度な運動
- ウォーキングや軽い筋トレは、脳血流を良くし、認知症リスク低下とも関連
- 食生活を整える
- 塩分・脂質・過度な飲酒を控え、血管を守ることは、脳を守ることにもつながる
- 喫煙を避ける
(2)「予備脳」を増やす習慣
- 新しいことを始める(語学、楽器、手芸、プログラミングなど)
- いつもと違う本を読む、違うジャンルの動画を見る
- 人と話す機会を意識的に増やす
- 片付け・家計管理・料理など、頭を使う家事を「自分でやる」
「完璧にできること」よりも、
「少し難しいけれど、工夫すればなんとかできること」 のほうが、脳にとっては良い刺激になります。
(3)高次脳機能障害が疑われるときは、ひとりで抱え込まない
- 言葉が出にくい
- 段取りが極端に苦手になった
- 性格が急に変わったように見える
こうした変化が、脳卒中や頭部外傷のあとからはっきり現れた場合、
高次脳機能障害の可能性があります。
そのときに大事なのは、
「本人の努力不足」ではなく「脳の障害」である
と理解することです。
- もの忘れ・コミュニケーションの専門外来
- 高次脳機能障害支援の窓口(自治体など)
に相談し、リハビリや生活の工夫、福祉制度の情報を得ることが、本人と家族の負担を軽くします。
7.おわりに──脳は「一生育て続けられる臓器」
脳の老化を早める「脳のゴミ」。
それに対抗する「予備脳」。
そして、病気や事故などで突然生活が変わってしまう、高次脳機能障害。
共通して言えるのは、
脳は年齢に関係なく、一生かけて育て続けることができる
ということです。
- 生活習慣を整えて、「ゴミをためにくい脳」を育てる
- 学びや経験を重ねて、「予備脳」という見えない貯金を増やす
- 障害があっても、「できない」を責めず、「別のやり方」を探す
こうした積み重ねが、
「何歳になっても、自分らしく生きるための脳」を支えてくれます。
この記事が、
ご自身の脳のケアを見直したり、
高次脳機能障害のある方・そのご家族を理解するきっかけになれば嬉しく思います。


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